本心からの本心の叫び
5日間の氣功断食を経て、ますます自分に正直になってきている。隠せない、誤魔化せない、嘘つけない。
心の底からやりたいことは何なのか。
改めて自分に問いかけている。
自問自答は答えが出なくて悶々としていた。
やりたいことはたくさんあるけれど、どのレベルでのやりたいなのか。
今、心の内側で求めているやりたいは、今までと違うレベルのもの。潜在的なものが炙り出されてきたような感覚。
今日それが、人と話すことで段々と明確になってきた。自分自身の本心に氣づいてあげると、誰でもない自分自身が喜ぶ。これは内側からの静かな歓び。
本当にワクワクすることは、ビジョンが見える。
想像したら興奮して、本当にワクワクする。
常識を外して、固定観念なく、やってまえ!!!!!!!!!
(最後、投げやり。笑)
顕在意識(経営者)と、潜在意識(工場長)
顕在意識が経営者
潜在意識が工場長
指示が大きいほど工場長はビックリし、総動員して動き出す。小さいと大して動かない。
その話を聴いて数日が経過し、気づいたことがある。
気づき①最近、指示が小さかった。
小さすぎて工場長が動けていなかった!!いつの間にか現実基準になっていた。でっかいことだと心が燃えておもしろい展開が起きまくる🌈
その後数日が経過…
気づき②指示がジブリッシュ!!笑笑
工場の環境整備は以前からかなり行われ、工場長・工場職員が働きやすい労働環境もあるにもかかわらず、経営者の指示がわかりづらい!!たまに、ジブリッシュで指示出してたなと(笑)
気づき③経営者がアホ~
とはいえ、この経営者はどうもアホなところがある…
そんな中、必殺仕事人の如く、力を貸していただける有能な番頭さんが、明確な指示を経営者の意向を踏まえて、明確化してもらえて大助かり!!
できないからダメではなく、できないから助けていただけることを実感。
気づき④
あとは、事務仕事が得意な秘書がいてくれたらなぁ!
↑ 今、ここ。笑
シンクロニシティ
一昨日は福岡県田川市で仕事後、博多に戻って取っていただいていたホテルにチェックイン。部屋番号が自分の誕生日と同じ830だった。S1 (シンクロニシティ1)
昨日は、以前にfacebook上でジブリッシュの話題で盛り上がったことがあり、博多で知人の渡邊敬子さんと再会。ほんなら、今大切にしている感覚がかぶるかぶる。S2
さらに知人男性のMさんが加わり、3人でご飯を食べているとき、こんな話題が1部出た。
・カタカムナ農法
・神社で話しかけてきた人が、敬子さんがつくった「リーサの球体」というマークを持っていた。
ランチ後、僕は別の知人縄田和生さんと再会を果たす。実は、縄田さんは、実はまさにカタカムナ農法を学ばれている方だった。S3
迎えに来てくれた車で色々話していると、「神社である人に話しかけー」と話題が出る。僕がもしかしてーと話すと、敬子さん達だった。S4
縄田さんの家に到着すると、馬見山が目の前に見える。この山には、Mさんと2年半ほど前に登ったことがあるのだが、頂上でとんでもないものをみてしまった。そんなご縁のある山とまたしても出逢う。S5
仕事場にお邪魔すると普段いない方がマコモをもって来られていて出逢いをいただく。これまたご縁を
感じる意味のある出逢いに。S6
仕事場にあった本の表紙の写真がどこかでみたことのあるもの…母のパソコンのデスクトップの不思議なイラストだった。縄田さんの師匠の本らしく、ビックリ。S7
最近田川があることで注目され話題に登っていたようで、僕が前日田川で仕事をしていたことに驚かれる。S8
そんな縄田さんの誕生日は同じ830。S9
水華さん的に言うと
「シンクロは高次元に近づいているサイン。しかし、それに執着すると…掴むと…そこで終わり」
「そこで手放す…味わい切る…するとさらなる次の扉がひらく」
「この現象は何を意味し、何を示唆するか…?」
人ではなく現象にフォーカス。
外側でなく、内側にフォーカス。
「ある!!!!」命は、はじめからあるもの。
昨晩、主催者の熊沢万里子さんから「あと一席あるよ!」とお声掛けいただき、小野善一郎先生の「古事記のこころ」朝会に参加。
2回目の参加だが、小野先生…
やはり…
朝から…
あ、あ、あ、熱い!!!!!
「命ははじめからあるものなのです。」
「はじめからあるんです!!!!」
「あるんです!!!!!!!」
もう先生のあり方そのものが命。
・自分の中にすべてある。自分の命を明らかにすることが学問の本質。
・覆っているものを祓うことで天地とひとつになる。そこは無尽蔵の世界。
・そこに辿り着くことが真の自由自在。それが天照大御神の御心と一つになること。
小野先生が語られる古事記のこころは、大宇宙論でもある。宗教が生まれる以前の森羅万象の世界(=大宇宙)を、言霊と共に、生活と共に大切にしてきた日本の先人。
歴史を超えて残っていることの意味も深く感じた。
祓詞、祝詞を昨年暗記して唱えてきたが、次は大祓詞だなと腑に落ちた。
根源を求める旅はつづく!!
「傘がある」執着を手放すことの意味〈スピリチュアルな学び〉
帰りの電車が降りる駅で止まった。
先ほど窓際の手すりにかけておいた傘を取って、降りようとしたら、取った瞬間、「パッ」と、座っている人に取り戻される。
パッと見、同い年くらいの若い男性。
動揺する大久保。
大「えっ、これ…」
しかし、彼は「これは自分の傘だ」と言わんばかりの自信に満ちた眼をしているではないか。
大「えっ、これ、あの…」
彼に譲る気配は微塵もない。
どうこうしているうちに、電車の扉は閉まろうと…
最後まで彼の目は自信に満ちている。
そして、目で僕に訴えかけてくる。
(近くの乗客も、傘を取って、取られて、男同士見つめ、見つめ合っての一進一退の行方を気にしている)
ここで僕は決めた。
さっき買ったばかりの傘に執着するよりも、この傘はお兄さんに気持ちよく譲ろう。
執着を手放し、今ここで降りて帰ろうじゃないか!
一瞬の出来事だったが爽やかに決断をし、ギリギリのタイミングで電車から急いで降りた。
そしたら傘が腕にかかっていた。
必要なものは、皆持っています。
すでにある豊かさを感じるのです。
映画『あなたも天使』〜氣功断食5日目ホノルルマラソン完走〜を観て
バスチケットの日にちを間違えた!後編
そして、次なる選択は代わりのバスを自ら見つけること。
いざゆかん!!
「走る〜走る〜おれたち〜♪」
と普通なら焦りそうになるところ、
その状況を楽しもうとする自分がいる。
心の内面は
「スキップ、スキップ、ランランラン〜♪」
くらいの氣持ちで♪
だって、どうしようもないから(´・∀・`)笑
困難な状況が訪れたとき、それを困難と判断するのはいつも自分。無意識にチケット日付を間違えたのには、意味があるのかもしれない。
いや、もはやその意味なんてどうでもいい。
意味づけするのも自由だが、した途端、見える世界が狭まる氣がした。
これも言ってしまえば、ただのご縁。
何が起きるかわからない冒険状態。
じゃあ、楽しもう。
楽しまにゃ損、損!
思考(自我)でこねくり回して、どうこうしようとする自分を手放して、宇宙にゆだねる、ゆだねる、ゆだねる〜。ゆだねる〜。
すると、見えないものが見えてきた。
それはきっと、ゆとりが生まれたから。
内側にフォーカスの旅はつづく