「傘がある」執着を手放すことの意味〈スピリチュアルな学び〉
帰りの電車が降りる駅で止まった。
先ほど窓際の手すりにかけておいた傘を取って、降りようとしたら、取った瞬間、「パッ」と、座っている人に取り戻される。
パッと見、同い年くらいの若い男性。
動揺する大久保。
大「えっ、これ…」
しかし、彼は「これは自分の傘だ」と言わんばかりの自信に満ちた眼をしているではないか。
大「えっ、これ、あの…」
彼に譲る気配は微塵もない。
どうこうしているうちに、電車の扉は閉まろうと…
最後まで彼の目は自信に満ちている。
そして、目で僕に訴えかけてくる。
(近くの乗客も、傘を取って、取られて、男同士見つめ、見つめ合っての一進一退の行方を気にしている)
ここで僕は決めた。
さっき買ったばかりの傘に執着するよりも、この傘はお兄さんに気持ちよく譲ろう。
執着を手放し、今ここで降りて帰ろうじゃないか!
一瞬の出来事だったが爽やかに決断をし、ギリギリのタイミングで電車から急いで降りた。
そしたら傘が腕にかかっていた。
必要なものは、皆持っています。
すでにある豊かさを感じるのです。